「姿勢を整え、心を整える。」
昔から仏像が好きだった。そこはかとなく漂う美しさはどこから来るのか? 仏像を見ていると、背筋がすぅっと伸びて、美しいお姿である。「佇まい」といえば良いのだろうか? 見惚れる理由のひとつが姿勢の良さだとすると仏教に通じる人はみな背筋が伸びて、腰痛知らずだったりするのだろうか? そんな疑問を抱きながら。
北原徹(以下「北原」)
北枕はいけない、という話はよく聞きますが、ぼくが幼少期にお世話になった日蓮宗のご住職は「北枕は良い」と仰っていました。理由も明解で「お釈迦さまは体大きく、北枕にすると南に足が伸ばせて、頭寒足熱でよく寝られる」のだというお話でした。理にかなっていて面白い話だったという記憶があります。
井上広法さん(以下「井上」)
私は磁気にも関係があると思っています。頭をN極に足がS極。体の中の通りがいいじゃないですか?
北原 なるほど! 仏教の教えって、理にかなっているんでしょうね。
井上 だから、私はお寺にトレーニングに来るといいと思っているのです。その中でも姿勢は重要で、「調身・調息・調心」というのですが、三つの調子を整えましょう、ということです。
北原 調身・調息・調心?
井上 そうです。瞑想に入る前に三つの調子を整えます。まずは「調身」。体を整えることです。姿勢ですね。体が整うと自然と体全体が整うものです。次に「調息」。息を整えることです。息を整えることで気持ちが緩やかになります。そして、「調心」です。心を整えます。この三つのプロセスで身体と心を整えます。
北原 (姿勢を整え、息を整え、心を整えつつ)お寺の静けさがすべてを整えてくれる気がしますね。
井上 姿勢は口で言うのが難しいじゃないですか。「あーしてこーして」って言ったり、時には身体を補助したりして大変なんですよ。これだけで15分かかってしまう。企業でのワークショップもやっていますが、アーユル チェアーを使うとなんの説明もいらず、5秒で調身ができてしまうのです。「この椅子にちゃんと座ってください」っていうだけで。
北原 確かに仏像のような姿勢になりますよね。
井上 坐骨で座れて、腰骨が立ち、姿勢が整えられ、腰も楽になる。私、腰痛持ちなんですが、この教えるときだけではなく、自分の体も、アーユル チェアーには随分助けられてます。
北原 アーユル チェアーを使うだけで腰痛持ちはトレーニングになるというわけですね。
井上 「身体性」という話を申し上げましたが、姿勢から心を整えることは重要なんです。そこには私の経歴も関わってきます。私は仏教を学びに大学に通い、卒業しましたが、その後、センター試験からもう一度受けなおし東京学芸大学に1年から再入学したんです。そこで臨床心理学を専攻、なぜ臨床心理学かというと人間の心のメカニズム、人間の心に対するアドバイスをもうちょっと現代風に皆さんに伝えるには、仏教ももちろん素晴らしい教えですが、古臭い。仏教を否定するのではなく、仏教に積もっている埃を臨床心理学というもので払えば、もっと古から伝わる、「生きる知恵」というものが現代にリバイバルするのではないか、そんなもくろみがあったのです。
北原 つまるところ、宗教的な教えは心のケアになるわけですものね。
井上 心の学問の為、うつ病や不安障害いろいろな事を勉強していました。そしてある時気が付いたんです。心は目には見えないものです。この目に見えないものをどうこうしようとする学問の臨床心理学を仏教に役立てられると。
北原 座禅や瞑想はまさに心に深く向かっていく作業ですものね。
井上 「身体性」とはカラダを整えることによって、外堀の方から心を整える事が出来るんじゃないかなというように考えるようになったわけです。この「身体性」を研究していた当時早稲田大学大学院の山口創先生という人がいて、その方が「愛撫」という本を書いていらしたんですね。その本を背表紙で見た時に、関心をもち見てみたら、身体に触れたりする身体性というものから心にアプローチしていくようなジャンルのお話だったんです。心は目に見えないので、曖昧ではありますが、この話ですごく腑に落ちたわけです。
北原 現代的なお話ですね。
井上 山口創先生がおっしゃるには、子供の脳ミソは皮膚だ、それぐらい子供の肌は重要だから出来るだけ子供たちにはボディータッチ、スキンシップをとって育てなさいとおっしゃっているのです。口で育てるのではなく身体全体で育てなさい、と。これは私の専門ではありませんが、関心を含めて「身体性」に思いを馳せるようになりましたね。アーユル チェアーにその身体性のひとつの答えがあるんじゃないかなという気がしました。たとえば、浄土宗のお経に書いてあるんじゃないかと思ったら、やっぱり! あるんですよ(笑)。
北原 マジっすか?(笑)
井上 最初に読む香偈(こうげ)というものがあるのですが、そこに、【願我身浄如香爐 願我心如智慧火】(がんがしんじょにょこうろ がんがしんにょちえか)とあります。この2フレーズに、願わくば身体が香炉のように浄らかである事という風に、仏教の最初の偈文が身体について始まっているのです。
北原 本当だ!ありますね。香炉のごとく我が身が浄らかであることを願うんですね。それは心にもつながるわけですね。
井上 仏教では、「心身一如」といい、心と身体は分けて考えないんですね。我々がやっているひとつひとつの所作は「心身」の話がたくさんあります。山口創先生の本の中にもあるんですよ。なぜ仏教は手の平と手の平を合わせるのか、という話が。
北原 手と手を合わせて、幸せってやつですか?
井上 近いんですが、遠い?
北原 宗教と手って関係ありますね。拝むって何かしら手を合わせますからね。
井上 神社に行くと手を叩く、キリスト教だと手を握って、お祈りのポーズを取りなぜ手を重ねたりするのか? この本にその答えが書いてあった! パッと目の前が暗くなった時まずどうするか。手で触って探るわけですよね。目の見えない人は手を使います。つまり、手の平には多くの神経細胞があるわけです。目の不自由なかたは点字で読み書きしますよね。目の次の外界を探るセンサーは手の平なんです。
北原 最近、仕事の原稿で「手の洞察力」って言葉が思いついて、書いたばかりです。手というのは目にもなると思いました。さらにいうと、ぼく、少しですが、「手相」が観られるんです。手はその人の心の窓だと思っています。
井上 それはすごい! では、手の平と手の平を合わせるのは何をサーチしているか?
北原 手が触れているものは自分の手ですよね。
井上 そこです! つまりは自分の心の中をサーチしていることになるのです。仏教でいうと自己を見つめなさいという事なんですね。ひとつの思想、想いが身体に実際に現れていて、ますます身体と心はひとつだなと。
北原 病は気からともいいます。心が元気のないときは体もよくないものですしね。5月に腰痛が多いといわれ、病院のデータもあるそうなんですが、これも五月病と関係があって、5月はストレスが心にダメージを与えるだけではなく、体にもダメージを与えるということらしいのです。
井上 そうなんですか? 私がみなさんにいいたいことも同じで、みなさんは身体と心は別だと考える節がありますが、別けなくて良いのではないかと思いますね。
北原 腰痛改善も心から! ですね。ゆとりのある生活が腰痛にも良いんですよ! 間違いないと思いますね。
井上 近代は細分化されていて、木を見て森を見ずという学問になっていますよね。ぼくらはもっとホリスティックに物事を見ていて身体と心は一致しているのではないでしょうか。ですから、「身体を変えれば心も変わるし、心が変われば身体も変わる」という相関性がある。
北原 筋肉をガンガン鍛えたマッチョな人は心もマッチョになっちゃう人がいますよね。
井上 ははは。そうですね。このお寺の朝のラジオ体操もそうですが、私たちは姿勢を大事にしています。その姿勢は自分自身の姿勢もありますが、お寺に来て頂いている方々の姿勢に対しても、ケアしているんです。
北原 姿勢は心のあらわれっていいますしね。姿勢を正すと気持ちもしゃんとする気がします。逆にやましいことがあると猫背になったり、どこか体にもしわ寄せがある気がしますね。子どもの頃お経を読むときに姿勢をちゃんと伸ばしてと言われました。
井上 それは、腰骨を正してという事でもあるんですけど。海外のユーチューブに面白い動画がありましたね。ウォーキングマシーンの上で、10秒ずつ色んな役の歩くマネをする動画で、例えば泥棒、やくざ、うそをついている人、などなど、海外の人がやっているが日本と言葉も違うのに同じ動作を取る。ということは普遍性があるということですよね。つまりはその人の心理状態が、姿勢や歩き方に出てくる。
北原 心は表面に現れますよね。自分に自信がある人は自信満々のルックスなんですよ。ぼくは自分に自信がないので、そんな風体をしているんじゃないか、っていつも思います。
井上 いやいや、堂々していらっしゃいますよ。そういう意味では我々お坊さんの歩き方もきちんと考えないといけないなと。形でつくるのか、形が心をつくるのかはわかりませんが、そういった意味で、我々お坊さんも姿勢で法を説くというのはありますね。
北原 親の背中を見て、子どもは育ちますし、真似もしますからね。
井上 社長の背中をみて従業員がピシッとするのと一緒で、言葉だけじゃなくて姿勢で物事のメッセージを伝えるというのはあると思います。
身体の姿勢が心の姿勢を育てていく。井上さんのお話はやはり説法であり、哲学も混じっていて、まったく飽きず予定の時間を過ぎても話が止まらなかった。姿勢の大事を改めて知る良い機会になっていただければと思うのと同時に、お寺さんで、また昼寝をしたいなぁ、と思う編集長であった。
Toru Kitahara (Portrait Photographs & text) , Youtsu Labo staff(Exercise and more photographs)