腰痛ラボ

腰痛の悩みが和らぐ、腰痛改善を一緒に考えるラボ

#7 古舘伊知郎さん
「ダブルアーム・スープレックスから始まった
痛みとの長〜いお付き合い。」

「ダブルアーム・スープレックスから始まった痛みとの長〜いお付き合い。」

見事な解説、視聴者を惹きつけて思わずテンションも上がる語り口で“ミスター実況”の異名を持ち、アドリブもポンポン飛び出す、流れるような“古舘節”による司会、実況など、語りのプロフェッショナルとして人気の古舘伊知郎さん。実は首、肩、腰の慢性的かつ強烈な痛みと向き合う人生だった!今回は、古舘伊知郎さんに、中学生から始まった痛みの歴史を伺いました。

—— 古舘さんは、長年にわたって腰痛、首や肩の痛みなどと戦っておられると伺っておりますが、腰痛歴というか痛み歴を教えていただけますか。

古舘伊知郎さん(以下、古舘) 

   まず、ご存じかと思いますが僕は喋り数が多いんでバッサバサカットしていただいて構わないんですが、一応、総なめにしますね。

—— はい(笑)是非。(ここからは、古舘さんの軽妙な“古舘節”をイメージしながらお読みいただければ幸いです)

古舘 腰部は背中と繋がり、背中は首と繋がっている。つまり、頸椎から腰椎、そして仙骨までは基本的に一直線上に全て繋がっているわけです。僕が腰痛持ちであるということは、すなわち他も悪いってことなんですよ。と、いうことでまずは腰からしばし離れ、首の話から始めたいと思います。

—— おっしゃる通りで頸椎→胸椎→腰椎→仙骨と繋がっています。では、首からお願いします。

 

古舘 僕が中学二年生の時、運動会の入場行進がまさに始まらんとするその時、僕は友人とプロレスの技を掛け合っておりました。その技は当時大人気の“ダブルアーム・スープレックス”!僕が仕掛けられる方だったんですが、この技で実は一番格好いいのは、仕掛けられて劣勢にまわっている方が、投げられる寸前に片方の膝をガーンと落としてそれをプロテクトすることなんです。で、見事にプロテクト成功、決まった!と、思った瞬間、ボキボキっともの凄い音がして動けなくなり、痛くて涙が止まらない状態のまま救急車で運ばれました。先生に「体が柔らかい中学生でよかったですよ。大人だったら半身不随です」と、言われて一ヶ月以上、首にコルセットをはめて過ごしました。技の掛け方は完璧だったんですけど、うっかり忘れてたんですよね、自分はプロレスラーみたいに鍛えてないんだってことを。

注【ダブルアーム・スープレックス】別名:人間風車、相手を前屈みにさせ、上半身をリバース・フルネルソン(逆さ羽交い締め)にして、相手の両腕に自分の両腕を絡めて持ち上げ、後方へと反り投げして背中からたたきつける。

—— わあ・・それは痛そうです。プロレスの技はリングでは簡単に仕掛けているように見えて、やはり鍛え上げた肉体でないと危険なんですね。普通の方々は真似してはいけませんね。大事に至らず何よりです。

古舘 後にこれがね、悪さをしていろいろ発症してくるんですが、まあそれは置いておいて。話は僕が大学生の頃に一気に飛びます。一般教養の体育の時間にバレーボールをやっておりました。大して上手くもないのに格好つけてスパイクを決めようとしたんですね。しかし、ジャンプしてスパイク!のはずが、見事に空振りして着地したときに腰をひねってしまったのですが、その日は何ともなかった。でも、翌朝起きたら大変、体が「くの字」に曲がっててびくともしない。実は、ぎっくり腰だったんですね。

—— すぐ病院に行かれたんですか?

古舘 いえ、授業があるし仕方がないのでそのまま学校に行ったら、最初は同級生たちには僕がふざけていると思われたんですが、情報通の友人が「牽引の大先生がいるから行こう」とその大先生のところに連れて行ってくれたんです。

—— え?牽引・・?ですか。

古舘 それがですね、足首から首まで全身をロープで縛られて、硬い板のようなベッドに寝かされて、ロープの端を手にした先生に「はい、じゃあ息を吸って〜吐いて・・」で、息を吐いて油断したところで先生が一気にロープを引っ張った。バキバキバキバキっていう凄い音がして、3秒くらい全身の感覚がなくなって・・そこに2回通ったら骨が伸びてひとまず治りました。

—— 随分と乱暴な治療ですが、とりあえずは治ったと。

古舘 はい、荒療治もいいとこですよ。でも、若かったからでしょうか「魔女の一撃」もこの荒療治でなんなく緩解した、と、その時は思ったわけです。でも、そういう戦場の傷跡は残っているもので、やはり首も腰も後々、また悪くなりましたよ。

注【魔女の一撃】ギックリ腰のことを西洋では「魔女の一撃」と言います。

—— 何年後くらいですか?

古舘 まずは36歳のときに椎間板ヘルニアになりました。整体院に通ったりして痛みを和らげながら、一ヶ月くらいかな、だましだまし仕事を続けていたんですが、いよいよ痛みと痺れが限界にきて、5メートル歩くのに30分かかるようになってしまった。それで、病院に入院して、レントゲンを撮ったらなんと、4番と5番の腰椎の間の椎間板が完全に無くなっていたんです。大学の時のスパイクの失敗から時間を掛けて少しずつ椎間板がすり減っていったんですね。そして、その時の原因はその下、5番と仙骨の間のフレッシュな椎間板だったんですよ。入院後は病院から仕事に出かけていました。

—— 36歳といえばとてつもなくお忙しい頃ですよね。入院中、病院ではどんな治療をなさっていたのですか。

古舘 仕事から病室に戻ると、砂袋で腰を牽引していましたが、痛みがひどくて一睡もできなくなって硬膜外ブロック注射を打ってもらいました。一般的には1年くらい効果が続いて、たまに3ヶ月しか続かない人もいるというすごい痛み止めですが、なんと僕は3時間しかもたなかったんですよ。注射をすると潮が引くようにすーっと痛みが消えて、3時間はもう天国ですよ。痛みがなかった頃にいろいろ悩んでいたのが申し訳なく感じられるくらい、痛みもある種の福音だなと思えるほど気持ちよくなる。でも、3時間でそれも終わり、また激しい痛みに襲われる・・・そんなことを繰り返し、ついに手術に踏み切りました。

—— お話しを伺いながらついつい歯を食いしばっていましたので、なんだかほっとしました。手術されたのは28年前ということになりますね。

 

古舘 そうですね。今はもうそんなことはないと思いますが、当時はまだ椎間板ヘルニアの手術はリスクが高いと言われていましてね。僕はLOVE法という最も一般的な椎間板ヘルニアの手術法で行いました。手術後に先生から「MRIではわからなかったけど、開けてみたら手術せざるを得ない状態でしたよ」と言われまして、要は、薄い皮に包まれたウインナーソーセージのような椎間板がムニュっと潰れて飛び出して神経を圧迫するのが一般的な椎間板ヘルニアなんですが、僕のは薄皮が破れて爆発して、カリフラワーのようにプルプルになっていたのだと。「古舘さん、耐え難い痛みだったでしょう!」って、そりゃあ痛いですよ!今更なんですか!って感じでした(笑)

注・【LOVE法】背中側から皮膚を切開し、椎間板から飛び出して神経を圧迫しているヘルニア(髄核)を摘出する、椎間板ヘルニアの標準的な手術方法。


 

—— よく耐えられましたね・・・カリフラワー状になった原因はなんでしょう。

古舘 その頃、体が硬かったので、柔らかくしようと思ってストレッチをやってたんです。痛かろうが何だろうがとにかくガンガン、異常なくらいに。4番と5番の椎間板は無いわけだから、5番の下の椎間板に負担がかかりついに悲鳴を上げたというわけです。これもひとまず治まって、さらに、40歳のときには首や肩のこりがひどいので、MRIで調べたら、2番頸椎の中にポツンと傷がついていて・・・

 
 
ダブルアーム・スープレックスが原因の頸椎挫傷も、空振りしたスパイクの着地の衝撃によるぎっくり腰も、破裂してカリフラワー状になった椎間板ヘルニアも、臨場感たっぷりに、ユーモアを交えて話してくださったので、思わず爆笑してしまいましたが、その痛みは相当なものだったはず。そんな痛みを経験した古舘さんがその後、どのように痛みと向き合っていかれるのか・・・続きは後編で!

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