腰痛ラボ

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#3井上広法さん(光琳寺副住職)
「お寺だけど、正座禁止です。」

「お寺だけど、正座禁止です。」

幼少期のぼくは夏休みになると長野県にあるおばあちゃんの家にひとりで泊まりに行っていた。そのとき、おばあちゃんの手には負えなかったのか、日蓮宗のお寺さんに行って、遊びとも預けられていたともいえないような不思議な感じがするくらいにお寺さんで過ごしていた。小学生だけの合宿みたいなのにも行った。
本堂や庫裏の隅っこで昼寝をするのが好きだった。
お寺という空間はどこか博物館や図書館のような、空気が少し澄んでいて、少し気温が低い(1、2度違うと思うのですが……)気がする。気持ちの良いひんやり感が気に入っていた。
ぼくにはあまり宗教心というものがないのだけれど、神社仏閣は幼少期の体験からか、とても好きな空間だった。
そんな話を宇都宮は光琳寺の副住職、井上広法さんにして、対談は始まった。テーブルを囲み、アーユル チェアーに座りながらであった。

井上広法さん(以下「井上」) 

   日蓮宗のお寺さんで寝たりしていたんですか? お寺で寝るのは気持ち良いんですよね。ぼくもここの本堂でゴロンと寝ていたい。そういえば、日蓮宗の池上本門寺にある日蓮宗宗務院で浄土宗(編集部注・日蓮宗と浄土宗はかつては対抗した宗派だった)の私が話をするという前代未聞のことをしたんですよね。今の日蓮宗はとても門戸を開いていて、ぼくの友人の多い宗派なんですよ。

北原徹(以下「北原」)

   日蓮宗のお寺さんで寝ていたことをお話ししても大丈夫ですね(笑)。

井上 お寺さんは敷居が高いというか、普通に訪れるものじゃない、という感覚の方が多いと思うのですが、北原さんの幼少期のようなお寺との関係というのはとても良いですね。昔は地域のコミュニティセンターみたいな存在だったこともあるんですよね。

北原 街のことがいろいろわかる場所だったんでしょうね。

井上 檀家さんの記録が残っていて、地域地域のお役所的な役割も果たしていたのです。今でも日本全国に7万6000軒のお寺があります。コンビニエンスストアの1.5倍。小学校が2万校ですから、一番身近な地域センターになりうるわけです。これだけの施設を全国に今からつくろうとしてもそうはいきません。そういう意味では物理的、心理的、社会的にもお寺は今後の人間社会にとても重要な存在になると思いますし、そうしていきたいと思っているのです。

北原 7万6000軒は驚きですね! まさかの数ですし、お寺さんを起点とする地域活性が広まれば、世の中も変わる気がします。ぼくは、スーパーマーケットでしかものを買わないアメリカ的になっている日本が心配です。パリの街角にどこにでもあるカフェを個人が経営し、お肉屋さん、お魚屋さん、八百屋さんといった個人商店が地域にあるだけで違うと思うのです。

井上 商店街が重要だというお話は同感です。光琳寺の門前の商店街は「もみじ通り」というのですが、少し前まではシャッター街でした。地域の方と私も一緒にもみじ通りを盛り上げようと今では楽器店やドーナッツや、飲食店などがシャッター街を変容させようとしています。そして、「もみじ通り」なのに「もみじ」がないということで、もみじ通りにもみじのお寺を! という話になりました。クラウドファンディングで30万円集めようとしたら、なんと85万円も集まりました。それがお寺の門の左右にアーチになるように植えられています。

北原 それはすごい! 良い感じじゃないですか! 地域のお寺になっている!

井上 お寺が地域のハブになるというのは理想なのですが、そこに近づいている気がします。

北原 お寺に人が集まるというのは、自然なことなのかもしれませんね。かつては檀家制度もあったんですから、地域社会とともに社会をつくり、一緒に街を育んでいくというのは理想の形ですね。

井上 お寺というと「修行」というイメージかと思いますが、私は「トレーニング」する場だと思ってもらえると良いと思っています。だから、ラジオ体操をお寺の境内でやったりします。50人くらい集まりましたが、檀家じゃない人がほとんどでした(笑)。ですが、それで良いのです。

北原 子どものときに参加した、日蓮宗の小学生のお寺合宿なんて、まさにそうでしたよ。体操したりしていましたね。お片付けしましょうとか、掃除するとか、身を美しくすると書いて「躾(しつけ)」という漢字まで習った気がします。正座させられた記憶もあります。あれは修行でした。

井上 光琳寺では正座禁止と言っています。正座はそもそも明治からいわれ始めた言葉で、仏像を見ても正座をしている仏様はいないのですよ。

北原 あ! そういえば!

井上 もともと端座と呼ばれていたものに対して、「正しい」という価値観を与えた、それは明治政府が裏にあったんじゃないかと言われていますね。要は、これから日本国民を一つの教えによって同じ型にはめていかなければならない。国家神道というものを旗印にしていたと思うのですが、本当の狙いは、産業社会にする為には、強い形で一つの命令を皆が同じように受け入れて、皆が同じように、製品を出来るだけ多く正しく造る事が産業化された社会のルール、目標だと思う。そこでマナーの側面から「端座」から国民の座り方「正座」にした。これは『日本人の座り方』という本に出ていました。

北原 座禅のときも正座じゃないですよね。(編集部注・結跏趺坐(けっかふざ)とか半跏趺坐(はんかふざ)といわれるものです)

井上 正座に近いスタイルと言われているのが、京都の大原三千院、阿弥陀様の横にいる観音様が大和座りという座り方をしている。それぐらいしか正座をしている仏像はないのです。やはり、正座の文化はそこまで古くないんですよ。昔の絵巻など見ると、お坊さんの説法を聞いているオーディエンスは、体育座り、寝転がっている、片足を上げて座っている人など、要するに座り方にちゃんとしたフォーマットがなかった。年配のかたに言わせると、「日本人は正座がただしいんだから正座をしなさい」となると思うんですけど、私はそういう意味からすると正座は良くないという事で、光琳寺では正座禁止!!

北原 お寺に行くのが嫌だなぁ、と思う理由が「正座」という人は少ないと思いますね。お寺=正座ってイメージは結構あると思います。

井上 そうなんですよ。そのイメージは本当に困ります。お寺に誰もが来られるようにするためにも、そのイメージを壊すことが大事なんです。正座禁止の理由はふたつあって、これから100年人生って言われてるじゃないですか。
健康寿命を阻害される理由というのは、運動器の障害が25パーセント。ですから、4分の1の健康寿命を阻害される理由が膝や腰などの運動器官だとすると、お寺は高齢者が多いわけですけれども、いまどき家で正座をしない人がお寺に来て正座をして、膝を壊してしまい、寝込んで認知症にでもなってしまったら、その人の人生をお寺が壊したと、極端に言えば言われてしまう。なので、どうしてもお寺に来ると正座をしてしまうんですけど、基本的に光琳寺では長時間の正座はしないで下さいということで、さまざまな椅子を導入しているんですよ。
アーユル チェアーあぐらイスやスツールタイプもあります。瞑想の場合座布というものを使用している。ただ、どんな座り方でも良いかっていうと、そうではなくて、左右対称でしっかりと腰骨を立てられる座り方が一番ベストじゃないかなと思っています。そういう姿勢始動指導をずっと行ってきたんですけど、簡単に、正しい姿勢を身体に教え込ませるのが、本当にアーユル チェアーは、僕が10分15分で教える座り方を「ここに座って下さい」というだけで自然と出来ちゃう。これをお寺ですること、つまり「修行」ではなく、「トレーニング」ということなのです。

北原 子どものときの日蓮宗の合宿でも姿勢を正すことは大事だと何どもいわれましたね。姿勢から始まることはたくさんある気がします。だいたい原稿を書くときもどんどん姿勢が悪くなってしまいますが、書き始める前に「さあ、やるぞ!」というときは背筋を伸ばしてしまいます。あれなんでなんだろう?

井上 「身体性」というのですが、カラダを整えることによって、外堀の方から心を整えることができるんじゃないかなというように考えるようになりましたね。これは私の経歴に関係するのですが。

 

 

ということで前半終了。次回は井上広法副住職の経歴からお話を始めて、姿勢と仏教などをもう少し深いところからしていこうと思う。

Toru Kitahara (Portrait Photographs & text) , Youtsu Labo staff(Exercise and more photographs)

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